方向音痴日記〜令和編〜

里山から降りてきたタヌキの日記です

海辺の街の焼肉屋で心が凍った話


2022年の初夏、一泊二日で旅行へ出かけた。

場所は近県のとある海辺の街。

コロナ禍で2年半ぶりの旅にやや緊張しながらもウキウキする私。


おおよそのスケジュールは決めていたけれど一日目の夕食はなんとなくアタリをつけた程度。

宿に着き、そろそろ夕食のお店を決めねばと思っていると同行者のAさんが「この街に有名な焼肉屋がある」と言うので早速べログを調べてみる。


レビューには「人気店のため予約は必須」とあり、そろそろ営業時間なのでダメ元で電話してみると「大丈夫です」とのこと。


ついてるな〜とニコニコしつつ歩いて30分ほどの場所にある店に向かう(電車の本数が少ないので一本逃すと30分くらい次が来ない)


着いたその店はのどかな街の道路沿いにぽつんと存在し、思ったより小さい簡単な造りの建物だった。

「よし」ドアを開けると78席のカウンターとテーブル席が3つほど。

カウンターは既に埋まっていて、地元の常連らしき客たちがこちらにチラチラと目線を送ってくる。

カウンターの中では70代くらいと思しき男性店主が一人黙々と作業をしている。


こちらに気づいていないようなので、Aさんが「すみません」と声をかける。


…………」無言で下を向いたまま手を止めない店主。


あれ?聞こえなかったかな?もう一度「あの、すみません」と大きめの声でリトライするも変わらず顔を上げない店主。


これは「今調理中だから待て」という無言のメッセージか。そう思い、しばらく店の入り口で佇む我々。


その間にカウンターの常連たちがこちらに視線を送ってくる。

心なしかニヤニヤしているような気がする。

飲み物は客自身が取るシステムのようで(ログにも書いてあった)、冷蔵庫から客が直接ビンを取り出したり、ビールサーバーからセルフで注いでいたりと自由にやっている。


この店の料金体系は一体どうなっているんだ。

伝票を客や店主が書いている様子はない。

(怖すぎて常連客と目を合わせないようにしていたので見逃していただけかもしれない)


そして店の中は静まり返っている。

こんなに静かな焼肉屋に来たことがない。

1分が10倍くらいの長さに感じる。

入り口での放置時間が5分ほど過ぎた時、Aさんが意を決して店主に「あの、こっち(テーブル席)に座ってもいいですか?」と声をかける。

心なしか気配がピリつく店内。


そこで初めて店主が顔を上げる。


「あ?予約は?」(←喋った!)

「さっき電話した〇〇です

「あ、そう……じゃそこ座って」


入店後、初めてとれたコミュニケーションに安堵しつつテーブル席に腰を下ろすアウェイな2しかし地獄はまだ始まったばかりだった。


「注文の仕方がわからない」

カウンターを見ると、奥から男女カップル、男性1人客、男性2人組、男女2人組が座っているのだが、みんなボソボソと小声で会話して飲食店の活気というものが一切感じられない。

そして何より、肉を焼く音がしない。

ジュージュー言ってない焼肉屋なんてあるのか不穏な気配を感じ汗が止まらない。


案の定席についたあとも放置されていたので、その間にカウンターを横目で観察していて気づいたこと「一番奥の男女しかまともに食べていない」。


このカップルの女性の方が「おじさん、〇〇ください」とか声をかけて注文して、カウンターの伝票に自ら注文内容を書き込んでいるようだ。(このシステムは食べグに書いてあった)

そして注文した品が店主から手渡される度に客の女性が「ありがとうございます!」と妙にハキハキとした口調で言う。

もはや店内ではっきり聞こえるのはこの「ありがとうございます!」のみ。

未だに席に着いたのみで何も注文できていない我々への嫌味なのかと思ってしまうほど


ここでAさんが最後の精神力を振り絞り、店主に「あの、注文したいので伝票もらえますか」と声をかけるも、空気のように無視。

(無視しているのか聞こえていないのか不明)


奥のカップル以外の客がみんな酒を飲みながらキムチ的なものしかつまんでいないことを確認し、店が正常に機能していないことを悟ったAさんと私は目で合図を送り合った。

(出よう)


30分ほど正座してしびれかけた足の痛みとカウンター客からの視線に気づかないフリをしつつ、逃げるように靴を履き店をあとにする我々。

(ちなみに店を出る直前に同じく旅行者と思われる20代くらいのカップルが入店してきたが当然のように放置されていていたたまれなくなった)


店の外に出てストレスから解放された我々は自由を喜び、すぐさまもう一軒チェックしていた焼肉店に電話で予約をして向かった。

もう食べられれば何でもいい、普通に接客さえしてもらえれば……


2軒目のお店は店主のご夫婦()それぞれが「火の調子はどう?」と終始気にかけてくれ、「これ食べてみて!おいしいからね〜」とサービスしてくれ、本当に一軒目の店と真逆の対応で、(コレガ、ニンゲン、ノ、ヤサシサ……)と野山から降りてきた怪物の心理を疑似体験することができた。


のちに一軒目の店について調べてみると、どうやら普段は夫婦で営業しているとのこと。

何らかの事情で、訪れた日にワンオペになってしまってあのような地獄が生まれたのかとも考察したけど今となっては知る由もないし、もうあの店について調べる気も起きない。

ただ食べロは絶賛の嵐で、「放置された」「注文のシステムがわからなかった」等のレビューは発見できなかった。


店の壁にビッシリ貼られた芸能人のサインと写真を見ながら(あなたたちはどうやって肉を食べたんですか…)と絶望した目で問いかけたあの辛い気持ちはまだ忘れることができない。